「大都映画」の版間の差分
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河合映画は徹底した娯楽路線で次々配給先の映画館ネットワークを広げ、1933年には東亜シネマを吸収合併して「大都映画」となった。近衛十四郎、阿部九州男、ハヤフサヒデトといったスターを擁し、チャンバラものの時代劇、新派ふうの悲恋物、現代物の痛快活劇アクション、コメディからなるラインナップで人気を博した。映画料金も他社より一段安いところが観衆には魅力だったが、その分製作は徹底した低コストで、一週間以内に撮影を済ませる早撮りで年百本を超える映画を量産した。
[[1942年]]、戦時統合によって、[[日活]]の製作部門、[[新興
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