「ドイツ勲章」の版間の差分

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このように死後の追贈が多い勲章だったので「死亡英雄勲章」などとも呼ばれていたが、ドイツが敗戦確実となった1945年代、特に1945年4月の混乱期に生前叙勲が行われるようになり、4名が生前叙勲した。戦争末期に[[アドルフ・ヒトラー]]が最も信任するようになっていた[[親衛隊全国指導者]][[ハインリヒ・ヒムラー]]と海軍提督[[カール・デーニッツ]]の両名にも生前叙勲が検討されていたが、結局実行されなかった。
 
== 11名の叙勲受章者 ==
=== 追贈者 ===
*1942年2月12日 [[フリッツ・トート]]
*1942年6月9日 [[ラインハルト・ハイドリヒ]]
*1942年6月21日 [[:en:Adolf Hühnlein|アドルフ・ヒューンライン]]
*1943年5月8日 [[ヴィクトール・ルッツェ]]
*1944年4月17日 [[:en:Adolf Wagner|アドルフ・ヴァーグナー]]([[:de:Adolf Wagner|Adolf Wagner]])
*1944年10月3日 [[ヨーゼフ・ビュルケル]]
*1944年10月7日 [[ルドルフ・シュムント]]
 
=== 生前叙勲 ===
*1945年2月24日 [[:en:Konstantin Hierl|コンスタンティン・ヒールル]]([[:de:Konstantin Hierl|Konstantin Hierl]])
*1945年4月12日 [[カール・ハンケ]]
*1945年4月19日 [[カール・ホルツ]]([[:ende:Karl Holz (Gauleiter)|カール・ホルツKarl Holz]])
*1945年4月28日 [[アルトゥール・アクスマン]]