「平安北道 (日本統治時代)」の版間の差分

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[[Image:Heian-Hoku Provincial Office.JPG|right|thumb|300px|旧平安北道庁舍]]
'''平安北道'''('''へいあんほくどう'''、ピョンアンプクド)は、[[日本統治時代の朝鮮]]の地方[[日本統治時代の朝鮮の行政区分で、画|行政区画]]の一つ。現在の[[朝鮮民主主義人民共和国]](北朝鮮)の[[平安北道]][[慈江道]]及び[[新義州特別行政区]]を合わせた地域にあたる。道庁所在地は[[新義州市|新義州]]
 
== 概要 ==
日本統治時代の朝鮮の地方行政区分は、[[高宗 (朝鮮王)|高宗]]33年([[1896年]])に成立した13の[[朝鮮八道|道]]が基になっている。
朝鮮西北部、[[平安道]]地方の北部にあたる道である。東に[[咸鏡南道 (日本統治時代)|咸鏡南道]]、南に[[平安南道 (日本統治時代)|平安南道]]と接し、北は[[鴨緑江]]を隔てて中国(満洲)である。
 
新義州は満洲と鉄路でつながる国境の町である。日本統治の末期には、鴨緑江の豊富な水量を利用した発電所として[[水豊ダム]]が建設された。
 
==人口==
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==関連項目==
*[[朝鮮八道]] - [[平安道]]
*[[朝鮮総督府]] - [[朝鮮民主主義人民共和国の地方行政区画]]
*[[平安道]]
*[[二十三府制]]
*[[朝鮮総督府]]
*[[朝鮮民主主義人民共和国の地方行政区画]]
*[[平安北道]]
*[[慈江道]]
*[[新義州特別行政区]]
 
{{歴史的地名
|[[平安北道]]の<br>[[:Category:日本統治時代の朝鮮の行政区|歴史的行政区画]]
|[[1910年]] - [[1945年]]
|<SMALL>([[二十三府制]]・[[十三道制]]を挟んで)</SMALL><BR>[[平安道]]