「平安北道 (日本統治時代)」の版間の差分
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[[Image:Heian-Hoku Provincial Office.JPG|right|thumb|300px|旧平安北道庁舍]]
'''平安北道'''('''へいあんほくどう'''、ピョンアンプクド)は、[[日本統治時代の朝鮮]]の
== 概要 ==
朝鮮西北部、[[平安道]]地方の北部にあたる道である。東に[[咸鏡南道 (日本統治時代)|咸鏡南道]]、南に[[平安南道 (日本統治時代)|平安南道]]と接し、北は[[鴨緑江]]を隔てて中国(満洲)である。
新義州は満洲と鉄路でつながる国境の町である。日本統治の末期には、鴨緑江の豊富な水量を利用した発電所として[[水豊ダム]]が建設された。
==人口==
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==関連項目==
*[[朝鮮八道]] - [[平安道]]
*[[朝鮮総督府]] - [[朝鮮民主主義人民共和国の地方行政区画]]
*[[朝鮮民主主義人民共和国の地方行政区画]]
{{歴史的地名
|[[平安北道]]の<br>[[
|[[1910年]] - [[1945年]]
|<SMALL>([[二十三府制]]・[[十三道制]]を挟んで)</SMALL><BR>[[平安道]]
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