「平林初之輔」の版間の差分

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==経歴==
[[京都府]]竹野郡深田村字黒部(現在は弥栄町黒部)に生まれる。1917年9月、[[早稲田大学]]文学部英文科に入学、[[片上伸]]や吉江喬松らに親しんだ。また、アテネ・フランセで[[フランス語]]を学ぶ。大学卒業後、やまと新聞に入社、同紙の文芸時評欄を担当するとともに、[[ヴィクトル・ユーゴー|ユゴー]]など[[フランス文学|フランス]]の小説を翻訳して掲載する。1920年、労働争議を契機に同新聞を退社、この前後に、[[青野季吉]]、[[市川正一]]と知り合い交際が始まり、ともに国際通信社に就職する。平林は、外電の翻訳に従事し、[[社会主義]]・[[マルクス主義]]に関心を持ち研究をすすめる。このころ創刊された雑誌『[[種蒔く人]]』に関係し、当時勃興しはじめた[[プロレタリア文学]]を理論化することに力をつくした。1926年に博文館に入社し、『太陽』誌の編集主幹となる。その後、「政治的価値と芸術的価値」という論文を発表し、芸術作品の価値についての論争の火ぶたを切って落とした。
 
フランスに映画研究などのため留学中、出血性膵臓炎のためパリ市内で急死する。近年、探偵小説の評論および創作の面でも注目され、あたらしい読者を獲得している。また、[[S・S・ヴァン=ダイン]]などの作品を翻訳して日本に紹介した。