「アンシュルス」の版間の差分

そして、当時の彼らには独自の国家として「オーストリア」が存在し続ける事や「オーストリア」という国家に愛国心を持つ事などは全く思いもよらない事であった(オーストリアの人々が愛国心を抱いていた対象はあくまで“大ドイツ主義によって形成される「ドイツ」国家”か、あるいは彼らがかつて実際に暮らしていた1918年以前の[[オーストリア・ハンガリー二重帝国|ハプスブルク帝国(オーストリア・ハンガリー二重帝国)]]に向けられたものであった)。従って、実際にドイツ軍がオーストリアに入ってしまうと、“大ドイツ主義によって形成される「ドイツ」国家”への愛国心から、一転して合併に賛成する[[投票行動]]に出てしまったのである(カール・レンナーが併合直後に「ナチスは嫌いだがオーストリアとドイツの合併は必要である」と発言して、ヒトラーから「彼も今回の併合そのものは支持している」と誤解を受けて政治犯収容所送りを免れたと言う説がある程である)。
 
現実は違っていた。ドイツ支配下においてオーストリアと言う地名は抹殺されて ([[:en:Ostmark|Ostmark]])、ハプスブルク帝国以来のオーストリアは根本的に否定される政策が取られた。また、合併直後、多くのユダヤ人や社会民主主義者、自由主義者や愛国主義者、知識人などが逮捕され、収容所に送られるか、処刑された。粛正の嵐は[[オーストリア軍]]にも及び、最後まで合併に反対し続けたヴィルヘルム・ツェーナー([[:de:Wilhelm Zehner|Wilhelm Zehner]])将軍などが暗殺された。「[[サウンド・オブ・ミュージック]]」で有名な[[ゲオルク・フォン・トラップ]]大佐のようにオーストリアから亡命するケースもあった。政治的にも経済的にもドイツの本土への従属性が強化された一方<ref>この時、オーストリアを代表する[[オーケストラ]]である[[ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団]]も解散させられそうになるなど、[[クラシック音楽]]の中心地であったオーストリアの文化も否定されていた。</ref>、[[オーストリア人]]はドイツ人の中でも落ちこぼれの「二流市民」の扱いを受けて、ユダヤ人抹殺([[ホロコースト]])など、ドイツ人が直接関りたくない仕事などに動員される事も少なくなかったとされる。
 
一方で、ドイツ人としてのアイデンティティ確立のために、自ら積極的にナチスに忠誠を誓う者もいた(例えば、[[アンネ・フランク]]を逮捕した[[ゲシュタポ]]はオーストリア人[[カール・ヨセフ・ジルバーバウアー|カール・ヨゼフ・ジルバーバウアー]]であったという説がある)。そもそも、ヒトラー自身がオーストリア出身者であった。
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