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モースルの人口の大部分を占めていた[[クルド人]]の存在は、元大統領[[サッダーム・フセイン]]に反クルド軍事行動を起こさせる契機となった。特にクルド人が反体制運動を試みた[[1990年代]]には軍事行動が激化し運動は失敗に終わった。その反体制運動失敗の結果として[[アメリカ合衆国|米国]]と英国が介入して北緯36度線以北に「北部飛行禁止区域([[1991年]]~[[2003年]])」が設定され、イラク北部及び北東部の帯状のクルド人居住地域は、[[クルド愛国同盟]]と[[クルド民主党]]の手に落ち、この地域で自治(事実上の独立)を開始した。モースルはクルド人自治区の手に落ちなかったが、この飛行禁止区域には含まれていた。
 
飛行禁止区域はサッダーム・フセイン政権にクルド人地域に対する大規模な軍事作戦を起こさせない役割を果たしたが、モースルの人口構成を次第に変えてゆく「アラブ化政策」という堅い政策の実施をやめさせることはできなかった。ただし、この政策にもかかわらず、モースルとその一帯の村々は今でもアラブ、クルド、アッシリア、トルクメン、いくらかのユダヤ人、その他孤立した[[ヤズディ教]]徒(クルド人など)の混合地帯のままである。サッダーム・フセイン政権はモースルに陸軍第5軍を駐屯させ、国際線の就航可能な[[空港]]を軍の支配下に置き、市民から大量に徴兵を行った。また各自治体の首長には軍人が就くなど事実上、イラク軍の統治下にあった。
 
===サッダーム政権後のモースル===