「アイルランド内戦」の版間の差分

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1926年、あくまで闘争の継続を望む反条約派の説得に失敗したデ・ヴァレラは国政に復帰し、[[フィアナ・フォイル]](共和党)を設立した。
多くの内戦がそうであるように、アイルランド内戦も後のアイルランドの政治に多大な影響を与えた。今日の国会([[ウラクタス]])における二大政党フィアナ・フォイルと[[フィナ・ゲール]](統一アイルランド党)は、それぞれ条約の反対派と賛成派が1922年に結成した政党である。1970年代に至るまで、主要な政治家のほぼ全員が内戦への参加者であったため、政党間の対立には暗い影が伴った。内戦参加者を挙げると、フィアナ・フォイルではエイモン・デ・ヴァレラ、フランク・エーケン、[[トッド・アンドリュース]]、[[ショーン・リーマス]]<ref>兄弟のノエルは自由国軍により誘拐され、後に殺害された。死体が捨てられたグレンクリー付近のウィックロー山脈には現在記念碑が残っている。</ref>など、フィナ・ゲールには[[ウィリアム・コスグレイヴ:en:W. T. Cosgrave|W・T・コスグレイヴ]]、[[:en:Richard Mulcahy|リチャード・マルケイ]]、[[ケヴィン・オイギンス]]<ref>1927年、ミサのため教会へ向かっていたオイギンスは、反条約派のIRAメンバーによって暗殺された。内戦中に行われた反条約派メンバーの虐殺への報復であるといわれる。</ref>などがいる。1930年にフィアナ・フォイルが政権を握ると、IRAと親自由国のブルーシャツ(The '''Blueshirts''')との間で内戦の再発が懸念された。
 
IRAは政治方針を巡って分裂を繰り返し、その内の一派は1980年代に入っても1916年の[[イースター蜂起]]で設立が宣言された[[アイルランド共和国暫定政府]]の正統性と1921年の条約の不当性を主張している。[[マイケル・マクダウェル]]など一部の政治家がこれに同調しており、[[IRA暫定派]]への支持が今でも絶えない事を裏付けている。