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'''カナン'''、あるいは'''カナアン'''({{lang-he|כנען}} Kənā‘an クナーアン、[[英語]]:Canaan)とは、[[地中海]]と[[ヨルダン川]]・[[死海]]に挟まれた地域一帯の古代の地名である。[[聖書]]で「乳と蜜の流れる場所」と描写され、神が[[アブラハム]]の子孫に与えると約束した土地であることから、'''約束の地'''とも呼ばれる。現代のカナンに関する知識の多くは、[[1928年]]に再発見された都市[[ウガリット]]の発掘調査によってもたらされた。
 
== 歴史 ==
== 古代イスラエル人到来前のカナン ==
カナンという名称の起源は不明であるが、文献への登場は[[紀元前3千年紀]]とたいへん古い。[[シュメール]]人の都市[[マリ (シリア)|マリ]]の[[紀元前18世紀]]の残骸で発見された文書では、政治的な共同体として明瞭に見いだされる<ref>恐らくは都市国家間のゆるい連合であろう)。[[紀元前2千年紀]]の期間中には[[古代エジプト]]王朝の州の名称として使われ、地中海を西の境界とし、北は南レバノンのハマトを経由し、東はヨルダン渓谷を、そして南は死海から[[ガザ]]へ、と描写された。これは、[[旧約聖書]]の「[[民数記]]」34章1-12節の記述と符合する</ref>
 
 
カナンはイスラエル人到来前には明らかに民族的に多様な土地であった。「[[申命記]]」7章1節によれば、カナン人とはイスラエル人に追い払われる7つの国民の1つであった。聖書の他の記述によれば、カナン人は地中海沿岸付近に居住していたに過ぎない(「[[民数記]]」13:29)。この文脈における「カナン人」という用語は、まさに「[[フェニキア]]人」に符合する。
[[紀元前2千年紀]]には[[古代エジプト]]王朝の州の名称として使われた。その領域は、地中海を西の境界とし、北は南レバノンのハマトを経由し、東はヨルダン渓谷を、そして南は死海から[[ガザ]]までを含む<ref>これは、[[旧約聖書]]の「[[民数記]]」34章1-12節の記述と符合する。</ref>。
 
 
カナンはイスラエル人到来前には明らかに民族的に多様な土地であった。り、「[[申命記]]」7章1節によれば、カナン人とはイスラエル人に追い払われる7つの国民の1つであった<ref>「[[申命記]]」7章1節</ref>聖書の他のまた「[[民数述によれば]]」では、カナン人は地中海沿岸付近に居住していたに過ぎないともされる<ref>「[[民数記]]」13:29)29</ref>。この文脈における「カナン人」という用語は、まさに「[[フェニキア]]人」に符合する。
 
カナン人は実際にはイスラエル人と混住し通婚した。[[ヘブライ語]]はカナン人から学んだものである([[イスラエル王国]]を参照)。
 
カナン人が誰であろうとも、彼らは[[近東]]の広範な地域において、商人としての評判を獲得していた。[[メソポタミア]]の都市ヌジで発見された[[銘板]]では、赤あるいは紫の染料の同義語として "Kinahnu" の用語が使われ、どうやら有名なカナン人の輸出商品を指すらしい。これもまた、「ツロの紫」で知られるフェニキア人と関連付けることが可能である。染料は大抵の場合、その出身地にちなんだ名を付けられた([[シャンパン]]のように)。同様に、旧約聖書に時折例示されるように、「カナン人」は商人の同義語として用いられ、カナン人を熟知した者によってその容貌が示唆されたものと思われる。
 
言語学の観点では、[[カナン語]]は、[[ヘブライ語]]・[[ウガリト語]]のような[[セム語派]]の系譜との親密性が言及される。[[アルファベット]]をセム語派で初めて用い、その文字体系は他のセム語派へと伝播した。
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== 聖書のカナン人 ==
カナン人とは、広義では[[ノア (聖書)|ノア]]の孫カナンから生じた国民を指すようである。「[[創世記]]」10章15-18節では、長男[[シドン]]、[[ヒッタイト|ヘト]]、エブス人、アモリ人、ギルガシ人、ヒビ人、アキル人、シニ人、アルワド人、ツェマリ人、ハマト人の11の氏族を総称して「カナン人の諸氏族」と呼んでいる。
 
== 脚注 ==
<references />
 
== 関連項目 ==