「サッダーム・フセイン」の版間の差分

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バクル政権では、入閣はしなかったものの、治安機関の再編成をまかされ、クーデターに協力したアブドゥッ=ラッザーク・ナーイフ首相の国外追放、イブラーヒーム・ダーウード国防相の逮捕など、バクル大統領の権力強化に協力し、その結果、1969年、[[革命指導評議会]](RCC)副議長に任命された。また、この時期にサッダームはイラク・バアス党をシリア・バアス党の影響力から引き離す工作を始め、[[汎アラブ主義]]を唱えつつも、叔父ハイラッラーの唱えた「'''イラク・ナショナリズム'''」をイラクの新たなイデオロギーに据えることを目標にした。この思想においては「イラク人民とは文明の発祥の地、古代[[メソポタミア]]の民の子孫である」としている。
 
このころ、サッダームは新たな治安・情報機関を設置し、その長に側近や親族を充てて、国の治安機関を自らの支配下におき、イラクを[[警察国家]]に変貌させ、[[秘密警察や民兵]]による国民の監視が強化された。政府省庁やイラク軍内部にも通称「[[コミッサール]]」と呼ばれたバアス党員の密告者を送りこみ、逐一動向を報告させている。
 
また、政府の高位職に同郷であるティクリートやその周辺地域の出身者を多く登用している。そのため、恩恵に預かれない他地域の人間の間には不満が募っていった。
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