「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」の版間の差分

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同年4月、[[銀座画廊]]で第一回展を開催。マニフェストを引用すると、「1964年の生殖をいかに夢想しようとも一発のアトムが気軽に解決してくれるようにピカソの闘牛もすでにひき殺された野良猫の血しぶきほどに、我々の心を動かせない。真摯な芸術作品を踏みつぶしていく20.6世紀の真赤にのぼせあがった地球に登場して我々が虐殺をまぬがれる唯一の手段は殺戮者にまわることだ」。
 
7月、[[岸本清子]]、[[田中信太郎]]、[[田辺三太郎]]、[[吉野辰海]]を新メンバーに加えた第二回展を吉村のアトリエ(「芸術革命家のホワイト・ハウス」と称した)で開催した。副題は「クタバレネオ・ダダイスト。恒久平和をうちたてる。嫌悪のダンゴに蜜蜂だ。灼熱の一切が始るぞ。狂乱ドッド。功利主義に埋没したぞ。ネオ・ダダ規制法案通過。したい。したい。したい。したい。したい。したい」。同じころ、[[東京放送TBSテレビ|TBS]]の取材に応じて鎌倉の[[材木座海岸]]で「白い布を広げ、トマトを投げつける」というパフォーマンスを行っている。
 
篠原有司男の[[モヒカン刈り]]は当時の日本人にとって衝撃的な[[髪型]]であり、「[[ロカビリー]]画家」という[[キャプション]]とともに[[週刊誌]]の[[グラビア]]を飾った。