「石井十次」の版間の差分

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*大正2年([[1913年]])私立茶臼原[[尋常小学校]]を設立。長女友子が、大原孫三郎 夫妻を[[媒酌人]]として、[[洋画家]]、[[児島虎次郎]]と結婚。
*大正3年([[1914年]])長女友子の出産を電報で知る。同日、持病の[[腎臓病]]が悪化し永眠。48歳。
*大正6年([[1917年]])大原孫三郎が岡山孤児院大阪事務所を拡張し、財団法人石井記念大阪愛染園を設立。愛染橋保育所と愛染橋夜学校の事業を引き継いだほか、救済事業研究室を付設。(その後の[[法政大学大原社会問題研究所]]の前身) その後は[[社会福祉法人]]石井記念愛染園となり、[[病院]]、[[保育園]]、[[特別養護老人ホーム]]などを運営。
*大正15年([[1926年]])岡山孤児院、茶臼原孤児院が活動を終了する。
*昭和20年([[1945年]])茶臼原孤児院が、太平洋戦争の被災孤児救済を目的に石井記念友愛社として活動を再開、その後、社会福祉法人石井記念友愛社となり、児童養護施設、保育園などを運営。