「ワット・ベンチャマボーピットドゥシットワナーラーム」の版間の差分

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[[ラーマ3世]]の治世下の[[1826年]]当時タイの朝貢国であったラオスの[[アヌウォン]]が反旗を翻した際に書かれた記録ワット・レーム {{lang|th|วัดแหลม}} あるいはワット・サイトーン {{lang|th|วัดไทรทอง}} と言う名前で登場する。時代は下って[[ラーマ4世]](モンクット王)の時代に勅命でワット・ベンチャマボーピットという現在の名前に近い名前が下賜された。[[1899年]]、[[ラーマ5世]]の命により現在の本堂が建立された。
 
デザインは異母弟の[[ナリッサラーヌワッティウォン]]によるものとされるが、マリオ・タマーニョら、お雇いイタリア人らの技師による西洋技術が大いに利用されており、タイの絶対王政下における代表的建築の一つとされる。
 
大理石寺院の別名のとおり、[[屋根瓦]]以外のほとんどの建材にイタリア、[[カラーラ]]産の大理石を使用している。屋根には鮮やかなオレンジ色の瓦が使われ、窓にはステンドグラスがはめ込まれている。本尊仏は、[[ピッサヌローク県]]のワット・プラシー・ラタナマハタートのチナラート仏を模したものである。