「那須与一」の版間の差分

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[[画像:Nasuyoichi1.JPG|thumb|right|150px|神戸・那須與一宗高公御墓所]]
また、[[兵庫県]][[神戸市]][[須磨区]]には、那須與一宗高公御墓所という与の墓とされるものがある。この墓にお参りすると、年老いても下の世話にならないとする言い伝えがある。また近くには与が信仰したとされる[[北向八幡神社]]と、地元の人々が与を祀った那須神社がある。
 
[[米沢市]]中央5丁目の[[西蓮寺 (米沢市)|西蓮寺]]の北西隣の虚空蔵菩薩堂の前には、那須与の名を刻む三重の、高さ約4.2メートルの石塔がある。これは那須与一の供養塔とされ、塔には「那須与宗隆公」、「千坂対馬守景親公」と刻まれており、裏には「享保四年孟夏十三日建立」と建立日が刻まれている。[[千坂景親]]は[[上杉謙信]]の重臣だが、[[千坂氏]]は那須氏とは婚族関係にあり、与一の守本尊(虚空蔵菩薩像)が伝わっていたとされる。
また扇の的を射た功名で全国に得た荘園のうち1つの備中荏原庄(現在の[[岡山県]][[井原市]]西江原)の山中にも与市の五輪供養塔が存在する。また備中荏原の菩提寺として開基した永祥寺の境内には、屋島での合戦時に破り捨てた片袖を祭った袖神神社や、那須一族の居城とされる[[小菅城址]]や創建した神社も存在する。
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