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==来歴・人物==
[[福島県]][[西白河郡]][[大屋村]](現[[白河市]])生れ。旧制安積中学(現[[福島県立安積高等学校]])、[[早稲田大学]]文学部英文科卒。
 
大学在学中に、[[横光利一]]、[[富ノ沢麟太郎]]、[[小島勗]]らと同人誌『塔』を創刊。小説『穴』を発表。また、[[帆足図南次]]と『農民リーフレット』を発刊。卒業後、中学英語教師のかたわら著作業を始め、妻の死など苦難の後、著作集『電光』を刊行。[[1938年]]、[[岩瀬郡]][[長沼町 (福島県)|長沼町]]を舞台にした『厚物咲』で第7回[[芥川龍之介賞|芥川賞]]。翌年『碑』を発表し、文壇での評価を高める。
 
[[平家物語]]を現代語訳しており([[日本古典文庫13・[[河出書房新社]]13)、その訳文(書き出しと那須与一の件)は中学校用国語教科書([[光村図書]]中学2年)で長年使用され続けている。
 
戦後は時代小説を書き、『新剣豪伝』『信夫の鷹』『咲庵』([[野間文芸賞]])など。がんに倒れ、『芭蕉庵桃青』が絶筆となった。死の前日に、[[キリスト教]][[洗礼]]を受け

中山義秀記念文学館がつくられ、優れた歴史小説を対象にした、[[中山義秀文学賞]]が創設された。[[大信村]]の文化の発展に貢献した全集は『中山義秀全集』(全9巻)[[2005年新潮社]]に合併し[[白河市]]となった『新編中山義秀自選歴史小説集』(全10巻)が宝文館出版にある
 
==受賞歴==
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*[[中山義秀文学賞]]
*[[中山義秀記念文学館]]
:旧[[大信村]]にあったが、[[2005年]]に合併し、[[白河市]]となった。
 
==外部リンク==