「ジョージ・クルック」の版間の差分

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江口磐世☆ (会話 | 投稿記録)
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その年の8月、クルックはウェストバージニア方面軍を指揮し、その部隊は[[フィリップ・シェリダン]]少将のシェナンドー軍第8軍団となった。クルックは[[1864年のバレー方面作戦]]にその軍団を率い、[[オペクォンの戦い]](第三次ウィンチェスターの戦い)、フィッシャーズヒルの戦いおよび[[シーダークリークの戦い]]に参戦した。[[10月21日]]、クルックは志願兵の少将に昇進した。
 
[[1865年]]2月、クルック将軍は[[メリーランド州]][[カンバーランド (メリーランド州)|カンバーランド]]で南軍の襲撃隊に捕まり、1ヵ月後の捕虜交換までリッチモンドで戦争捕虜になっていた。その後[[アポマトックス方面作戦]]ではポトマック軍の1個騎兵師団を指揮した。
 
== インディアン戦争 ==