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<br>などが挙げられる。
 
幕府は人々の往来の激しい地点や[[関所]]や港、大きな橋の袂、更には町や村の入り口などに'''高札場(制札場)'''と呼ばれる設置場所を設けて、「高札番」という役職を設けて常時、高札場の整備・管理に務めさせ、高札の修繕(高札は[[墨]]で書かれていたため、風雨には大変弱かった)や新設にあたらせた。また、諸藩に対してもこれに倣うように厳しく命じられて、同様の措置を取ると同時に自藩の法令を併せて掲示して自藩の法令の公示に用いた(代表的な高札場としては[[江戸]][[日本橋]]、[[京都]][[三条大橋]]、[[大坂]][[高麗橋]]、[[金沢]]橋場町、[[仙台]]芭蕉辻などが挙げられる)。<br>また、この民衆への周知徹底の為に高札の文面には、一般の法令では使われない簡易な仮名交じり文や仮名文が用いられた。更には当時の幕府は法律に関する出版を厳しく禁じる方針を採っていたにも関らず、高札に掲示された法令に関しては「万民に周知の事」と言う理由で簡単に出版が許されたばかりでなく、高札の文章は[[寺子屋]]の書き取りの教科書としても推奨されていた。
 
主な代表的な高札としては、[[寛文]]元年([[1661年]])の5枚の高札(撰銭、切支丹、火事場、駄賃、雑事)や[[正徳]]元年([[1711年]])の5枚の高札(忠孝、切支丹、火付、駄賃、毒薬)、[[明治維新]]とともに新政府から出された[[五榜の掲示]]などがある。