「高札」の版間の差分
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<br>などが挙げられる。
幕府は人々の往来の激しい地点や[[関所]]や港、大きな橋の袂、更には町や村の入り口などに'''高札場(制札場)'''と呼ばれる設置場所を設けて、「高札番」という役職を設けて常時、高札場の整備・管理に務めさせ、高札の修繕(高札は[[墨]]で書かれていたため、風雨には大変弱かった)や新設にあたらせた。また、諸藩に対して
主な代表的な高札としては、[[寛文]]元年([[1661年]])の5枚の高札(撰銭、切支丹、火事場、駄賃、雑事)や[[正徳]]元年([[1711年]])の5枚の高札(忠孝、切支丹、火付、駄賃、毒薬)、[[明治維新]]とともに新政府から出された[[五榜の掲示]]などがある。
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