「ラッツ&スター」の版間の差分

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[[1980年]]2月にメンバー10人でレコードデビュー。デビュー曲「ランナウェイ」が[[ミリオンセラー]]を記録する大ヒット。[[靴墨]]を顔に塗ることで、[[ブラックミュージック]]の雰囲気を出したことが話題となり、お茶の間でも一躍人気グループとなる(靴墨を塗っていたのはデビュー当時までであり、靴墨は肌に悪いと忠告されてからは、濃い色のファンデーションを塗っている)。また、「『ドゥ・ワップ』ってなんだろう?」と音楽雑誌でも取り上げられるなど、日本にドゥーワップ・ブームを巻き起こす。なお、デビュー後もしばらくの間は、メンバー全員がそれまでの仕事を続けていた。同年、[[ロサンゼルス]]の名門ライブハウス「[[ウィスキー・ア・ゴーゴー|WHISKEY A GO GO]]」に出演を果たした。
 
鈴木以外、'''ダメンバー'''('''ダメなメンバー''')だ。なぜならば、しかし同年7月、[[3月16日]]にメンバーのうち久保木・桑野・新保・山崎・須川の5人が[[群馬県]][[高崎市]]での公演中に宿泊先の[[埼玉県]][[本庄市]]の旅館で、興行主が呼び寄せた同市内の未成年女子2名(いずれも当時16歳)とわいせつな行為をしていたことが発覚。5人は[[青少年保護育成条例]]違反の疑いで[[書類送検]]され、シャネルズも半年間[[謹慎]]することになる。翌年、[[2月1日]]発売の3rdシングル「街角トワイライト」で、[[オリコンチャート]]第1位を記録し復活を果たす。「WHISKEY A GO GO」にも去年に引き続いて出演した。
 
[[1982年]]1月、一旦それまでの活動を休止し、全員が昼間は旋盤工などの仕事をして、夜に集まって練習をするという生活に戻った。2ヶ月後に復帰し、この時に「CHANELS」のスペルを「SHANELS」と変えている。[[フランス]]の高級[[ブランド]]・[[シャネル]](CHANEL)からの物言いがあったと言われているが、鈴木はスペルを改めた理由として「CHANELS」だと海外ではチャネルズと読まれてしまうためと述べている。以後、シャネルズ時代の音源などが発売された時は、ジャケットなどの「CHANELS」の表記は全て「SHANELS」と変えられている。