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[[Fileファイル:Bruce Metzger.JPG|thumb|2003年頃のブルース・メッツガー]]
'''ブルース・マンニング・メッツガー'''(Bruce Manning Metzger, [[1914年]][[2月9日-2007]] - [[2007年]][[2月13日)]])は[[アメリカ合衆国]]の[[聖書学|聖書学者]]。[[プリンストン神学校]]ので教授でを務め、また[[米国アメリカ聖書協会]]の委員として聖書編集に携わった。[[ギリシア語]]と・[[新約聖書]]と・[[旧約聖書]]の学者であり、それらの主題でたくさん多数の著作がある。
== 経歴 ==
1935年メッツガーは[[レバノン・バリー大学]]で学士を取得し、1938年にプリンストン神学校で神学士を取得。プリンストンに新約ギリシア語の講師として滞在、それから何年か連合長老派教会の聖職に任命されて仕える。1940年に[[プリンストン大学]]より[[修士|修士号]]を取得、新約聖書の専任講師になる。二2年後プリンストンより[[博士 (神学)|神学博士号]]を取得する。
1944年に神学校の第三3代目楽章学長の娘イザベル・エリザベス・マッケイと結婚する。同じ年に、助教授に昇進した。1948年に準教授に就任。、1954年に常任教授に就任した。1964年にメッツガーは新約原語と文学のジョージ・L・カラード教授に指名された。1971年彼は新約聖書研究と聖書文学国際協会の会長に選ばれた。数年間、北アメリカ教父大学の学長になった。1974年に[[ケンブリッジ大学]]の[[クレアー・ホール]]と[[オックスフォード大学]]の[[ウォルフソン・カレッジ]]の客員教授になる。70歳で名誉教授として引退する。1994年に英国学会より聖書研究の賞を受賞する。レバノン・バリー大学、[[ファインドリー大学]]、[[セント・アンドリューズ大学]]、[[ミュンヴェスタトファーレン・ヴィルヘルム大学]]と[[ポチェフスト大学]]より名誉博士号を受ける。
93歳の誕生日の直後に死去する。<!--彼は妻のイザベルと二人の息子、ジョン・マッカイ・メッツガーとジェイムス・ブルース・メッツガーの助けにより長生きした。-->
== 著書 ==
*[[ネストレ・アーラント]]
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[[Category:聖書学者]]
[[Category:1914年生]]
[[Category:2007年没]]
[[en:Bruce M. Metzger]]
[[ar:بروس متزجر]]
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