「伊達政宗」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
→‎政宗の野望: {{Trivia|date=2010年1月}}
186行目:
 
その一方で、家光の代においては「かつては天下を狙っていたが、今は家光を支える立場である」という事を示す逸話が見られる。
*家光の就任の宣言は「もともとは一大名であった祖父、父とは違い、自分は生まれながらの将軍であるから、大名方は今後は臣従の礼をとるべきだ。異論があるならば国へ帰り戦の準備をされよ」という大変威圧的なものであった。政宗はこれに対し「政宗はもとより、異論のある者などおるはずがありませぬ。もし謀反を起こす者がいれば、政宗が盾となってこれを打ち滅ぼしましょう」と即座に継ぎ、その場の皆が平伏したとされている。この家光の発言は政宗の助言によるものだったとも、あるいは幕閣が政宗に予め根回して即座に返答するよう依頼したとも言われている{{誰}}。([[NHK大河ドラマ]][[葵徳川三代]]では秀忠死去後、弔問のため諸大名が集まった場面でこの台詞があり、老中[[土井利勝]]が政宗に目配せをする様子が描写された)
* 家光が鷹狩に没頭し、下宿(外泊)を頻繁に行うのに困った幕閣が政宗に説得を頼んだ時のこと、政宗が「下宿はお止め下さい。私も家康公の御首を何度か狙ったことがございます」と家光に言い放つと、以後下宿を行わなくなったという。