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== 宍戸左行 ==
'''宍戸 左行'''(ししど さ
1912年(大正元年)、20代半ばで絵の勉強のためアメリカに渡り、キャノン画塾や漫画の[[通信教育]]で学んだ。9年間のアメリカ滞在中、[[内村鑑三]]の弟であり、宍戸の中学時代の英語教師である内村順也と共同生活をした。宍戸はアメリカで毎日映画を見た。これが後の漫画制作に活かされていると思われる。帰国後、東京毎夕新聞社に入社し政治漫画を描いた。その後、やまと新聞、東京日日新聞社でも漫画を描く。1930年、部数拡大のため漫画部を設立したばかりの読売新聞社に移り『スピード太郎』を描いた。以降、政治漫画と並行して、生活のために児童漫画も描いた。晩年は[[水墨画]]を描いた。
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