「錯誤」の版間の差分

多数説や通説表記の加筆・削除、誤想防衛の大幅加筆等
(多数説や通説表記の加筆・削除、誤想防衛の大幅加筆等)
事実の錯誤は、構成要件に関する事実の錯誤と、違法性に関する事実の錯誤に分けられる。
 
[[刑法総論]]において、故意を「構成要件的故意」と「責任故意」に分ける学説が有力であるが、この立場からは、構成要件に関する事実の錯誤は'''構成要件的故意'''の成否についての議論であり、違法性に関する事実の錯誤(誤想防衛等)は'''責任故意'''の成否についての議論であるといえる(以下、この学説に基づいた説明をする)
 
====構成要件に関する事実の錯誤====
これらの錯誤の諸事例について、[[法定的符合説]]と[[具体的符合説]]と[[抽象的符合説]]があるとされる。近時の論争は、前二者及びその中間説の争いである。
 
多数説、および現行刑法起草者の考えは具体的符号説であるが、判例は、([[泉二新熊]]の関与した)大正六年の判例変更以降、一貫して'''法定的符合説'''に立つ。
判例・多数説は、'''法定的符合説'''である。
 
======法定的符合説======
[[違法性阻却事由]]とは、通常なら違法とされる行為でもこれを備えていれば例外的に違法とはされず、犯罪として処罰されないという条件のことをいう。典型的には[[正当防衛]]や[[緊急避難]]のことである。つまり、ある人を殴ってもそれが自分の生命を守るためにされた正当防衛であるならば[[暴行|暴行罪]]は成立しない、という場合の正当防衛が違法性阻却事由にあたる。この違法性阻却事由がないのにあると勘違いして行動した場合が違法性阻却事由の錯誤であるが、これを事実の錯誤と考えるのか、違法性の錯誤と考えるのかについては争いがある。まずはこれが問題となる事例を挙げる。
*Aが道を歩いていたところ、向かいから歩いてくるBが突然手を振り上げた。Aは襲われたと思って反撃し、Bの顔面を殴りつけた。しかしBはたまたまAの後ろを歩いていた友人に手を振っただけで、Aが襲われたわけではなかった。
Aの行為は暴行罪の構成要件にあてはまる。事実BがAに襲いかかってきたのだとしたら、その行為は自己を守るための[[正当防衛]]であり、違法性が阻却され、犯罪は成立しない。しかし現実には正当防衛になるような状況がなかった(正当防衛を規定した刑法36条1項にいう「急迫不正の侵害」がなかった)のであるから正当防衛にはなり得ないと解するのが一般である(藤木説、川端説、井田説のように行為無価値一元論の立場から正当防衛とする見解もある)。ただAが正当防衛の要件があるという誤った想像をしていただけなのである。これを'''誤想防衛'''といい、違法性阻却事由の錯誤における典型例である。
 
* 事実の錯誤説
:誤想防衛では自分の行為が違法であると認識するための事実について勘違いがある。上記の例でいけば正当防衛の要件である「急迫不正の侵害」という事実があると誤認している。これは違法性に関する事実の錯誤であって前述した事実の錯誤にほかならず、違法性はあるが故意を阻却し、犯罪は成立しないと考えるのが通説である。ただしここでいう故意とは責任の段階における故意(責任故意)であり、ここでいわれる錯誤も構成要件に関する事実の錯誤で展開された複雑な錯誤論とは異なる単純なものである。つまり、責任故意においては違法性に関する事実の表象が要件とされ、違法性に関する事実の錯誤がある場合にはこの要件が欠けるため責任故意が阻却されるにすぎない。
 
* 違法性の錯誤説
:これに対して、誤想防衛においては構成要件的事実の認識はあり、ただ単に自己の行為が違法であるかどうかという評価を誤っただけなのであるから違法性の錯誤(法律の錯誤)の問題であると考える立場もある。これは前述した厳格責任説を採る論者の立場から主張されている。厳格責任説を採るこの論者は責任故意の概念を認めず、[[責任能力]]と[[期待可能性]]の他には違法性の意識(の可能性)のみが責任要素を構成すると考えるので、故意といった場合には構成要件段階における故意(構成要件的故意)のみを指すとする。そして構成要件に該当する事実(殺人罪なら「人を殺す」ことであり、窃盗罪なら「他人の物を盗む」ということ)を認識している以上構成要件的故意が認められ、責任段階での責任故意を否定するので、違法性阻却事由に関する事実の錯誤は故意を阻却せず、違法性の錯誤の問題にすぎないという結論になる。後述する他説に比べ、理論的な難点は少ないとされる(もっとも、厳格責任説自体への批判は強い)が、'''安易に違法性阻却事由ありと誤信したに過ぎない者には故意犯が成立する'''結論が妥当でないという理由で少数説にとどまる。
 
* 故意を否定する説(事実の錯誤説等)
:'''安易に誤信したとしても故意犯は成立しない'''と考えるのが通説である。この立場の論者には、違法性阻却事由について勘違いがあるために自分の行為が許されると思い込む者は、構成要件的故意のない者と同様に扱うべきである、との考え方が共通している。そして、故意犯とならないとしても、'''安易に誤信した場合は別途過失犯に問える'''とし、これが「落としどころ」として穏当な結論と考えられていることも支持の多い理由のひとつである。
ただし、「故意がないのと同様に扱う」ための理論構成は下記のように種々考えられているが、それぞれ難点が指摘されている。
#構成要件的故意を観念しない説。この場合、構成要件事実に対する故意と同時に、違法性阻却事由不存在に対する故意も、犯罪論の責任(阻却)段階で判断することになる。しかし、そもそも構成要件的故意を観念しないことへの批判がある。
#違法性阻却事由の存在を構成要件の一部に取り込む説(消極的構成要件要素の理論)。この場合、違法性阻却事由不存在に対する故意は構成要件的故意にあたるので、他の構成要件的故意の不存在と同様に扱える。しかし、構成要件と違法性阻却を同列に取り扱うことへの批判が強い。
#構成要件的故意と別に、責任故意を観念する説(第三の錯誤説)。この場合、故意犯の構成要件に該当し違法性も認められるが、故意犯としての責任が阻却されて故意犯不成立、という論理を経る。このとき、さらに過失犯の検討もするとすれば、故意犯の構成要件に該当したものがなぜ過失犯の構成要件に該当することがあるのか([[ブーメラン現象]])、構成要件的故意・過失を認めたことと矛盾するのではないか、という批判がある。
#故意は責任要素ではなく違法要素であるという立場を前提として、故意不法不存在を可罰的違法性阻却事由とする説。ちょうど、第三の錯誤説にいう責任故意阻却の判断を、違法性の段階で行うようなものである。やはりブーメラン現象であるとの批判が妥当する。
#他、法効果指示説等、日本に輸入されずほぼドイツのみで主張されている説もある。
 
誤想防衛には3つのパターンがある。
 
* 制限故意説
:通説である'''制限故意説'''は、故意(責任故意)の問題としつつ、違法性の意識は責任故意の要件ではなく、ただ違法性の意識の可能性は責任故意の要件とする。責任主義の見地からは違法性の意識を要件とすべきだが、他方で確信犯の処罰の必要性からは違法性の意識を要件とすべきではなく、違法性の意識の可能性があれば人格形成における反規範的人格態度を認めうる点で違法性の意識がある場合と同質といえるからである。
:制限故意説によれば、38条3項の解釈は、本文の「法律を知らなかった…」とは「違法性の意識を欠くこと」ではなく、「法律の規定を知らないこと」を意味し、法律の規定を知らないだけでは責任故意は阻却されないことを意味するとされ、ただし書の「情状により…」は、違法性の意識を欠いたが、その可能性があったとき、責任故意は阻却されないが、刑を減軽し得る旨定めたものとされる。
:結局、制限故意説によれば、違法性の意識を欠き違法性の意識の可能性もなかったときは、責任故意は阻却されるが、違法性の意識を欠きつつも違法性の意識の可能性があったときは、責任故意は阻却されない。ただし、違法性の意識の可能性があっても、それが困難であったときは責任が減少し、刑を減軽し得る(38条3項ただし書)。
 
* 厳格故意説
:'''厳格故意説'''は、故意(責任故意)の問題とする点では同じであるが、違法性の意識は責任故意の要件であるとする。この説によれば、違法性の意識の可能性はあっても、違法性を現に意識しない、遵法精神の低い者ほど故意を認められなくなる、という批判が強く、支持者は少ない
 
* 責任説
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