「マルク・バリエンテ」の版間の差分

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|背番号=34(トップチーム)
|利き足=右足
|クラブ=FCバルセロナB<br />[[FCバルセロナ・アトレティック]]<br />[[セビージャ・アトレティコ]]<br />
|年=2006-07<br />2007-08<br />2008-<br />
|出場(得点)=- (-)<br /><br/><br/><!--国内リーグ戦に限る-->
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かつて全てのカテゴリーでキャプテンであり各世代別のスペイン代表にも選ばれるなど同世代のメッシやピケにも劣らないほど将来を期待されている。
 
'''2005-06 ''' フベニルAからバルセロナCへステップアップするも、そのシーズンのほとんどをさらに上のカテゴリーであるバルセロナBで過ごす。
 
'''2006-07 ''' [[セグンダ・ディビシオンB]](2部Bリーグ。実質3部リーグに相当)に所属する正式にバルセロナBへ昇格。[[ボージャン・クルキッチ|ボージャン]]や[[ジョバニ・ドス・サントス]]、[[ジェフレン・スアレス|ジェフレン]]、[[ビクトール・バスケス]]ら有望な選手を揃えるもチームは不振に喘ぎ[[テルセーラ・ディビシオン]](3部リーグ。実質4部リーグ相当)へと降格してしまう。
 
'''2007-08 ''' チームは[[FCバルセロナ・アトレティック]]と昔の名称に戻し[[ジョゼップ・グアルディオラ]]を監督に迎え昇格を目指し再スタートを切ることなったが彼自身はレンタル、あるいは完全移籍でより高いレベルで自分を磨く事を希望した。しかし新監督[[ジョゼップ・グアルディオラ|グアルディオラ]]の強い要望があり彼は最終的に残留することを決意した。
彼はこのシーズンの監督からの絶大な信頼を得てチームのキャプテンとして活躍。2部Bよりもさらにフィジカルコンタクトの激しい3部で度々負傷するも、グアルディオラ監督たっての要求で痛み止めを打ちながらも無理して何試合も出場していたという。
さらにはチーム状況によってグアルディオラ監督に「バリエンテはピボーテ(スペインで言うボランチ)選手として必要なものをすべて持ち合わせている。」と中盤で起用され優れたテクニック、高度な戦術眼、広い視野、パスセンスその能力存分に遺憾無く発揮した。
グアルディオラ監督の下チームは見事優勝を果たし、続く昇格プレーオフでも勝利を重ね1年で2部Bへの復帰を果たした。
 
'''2008-09シーズン、''' 昨シーズン[[FCバルセロナ・アトレティック|アトレティック]]で監督を務めたグアルディオラ監督がトップチームの監督に就任し昨シーズン絶大な信頼を寄せたバリエンテを多くの人はAに引き上げるだろうと思っていた。
しかし、プレシーズンキャンプ開始後数人のカンテラーノ達が召集されたがバリエンテが召集されることは無くクラブは同じ87年生まれのCB二人、数年前にマンチェスター・ユナイテッドに移籍したかつてのパートナー[[ジェラール・ピケ]]を買い戻し、マルティン・カセレスを獲得するなど完全にバリエンテにはトップチームでの居場所は無くファンに惜しまれつつ[[セビージャ・アトレティコ]]へ3年契約で移籍した。この契約には最初の1シーズン終了後のみバルセロナが買い戻しできるオプションがついていたが行使せず残留となった。セビージャではトップチーム昇格を前向きにと言う話であった模様。
なお、バルセロナでは[[フランク・ライカールト]]が監督時代に一度だけコパ・カタルーニャで出場しているがオウンゴールしてしまうなど不運があった。
 
'''[[セビージャ・アトレティコ]]移籍後'''
 
'''2008-09'''
[[セビージャ・アトレティコ]]では移籍直後こそ出場が少なかったもののすぐにレギュラーを獲得。主に本来のポジションであるCBではなくDHやRサイドバックでのプレーが多かった。
移籍一年目にまたしてもチームが降格すると言う不運を味わっている。しかし今回は[[セビージャ・アトレティコ]]の所属が[[セグンダ・ディビシオン]](2部)であるリーガ・アデランテであり、[[セグンダ・ディビシオンB]](2部B)への降格だった。
トップチームでリーグ戦に出場するチャンスは無かった。
 
'''2008-09'''
2009年12月5日トップチームの怪我人が続出し[[リーガBBVA]]第13節対[[レアル・バリャドリード]]戦にて[[プリメーラ・ディビション|プリメーラ・ディビシオン]]初のベンチ入りを果たした。
 
2009年12月13日[[リーガBBVA]]第14節対[[スポルティング・ヒホン]]戦の前半27分、負傷した左サイドバック[[アドリアーノ・コレイア]]と交しセンターバックに入り[[プリメーラ・ディビション|プリメーラ・ディビシオン]]初出場を果たした。出場直後の前半30分にプリメーラで初のイエローカードを貰う。しかし臆することなく終了まで役割を無難にこなした。
 
 
[[サッカースペイン代表|スペイン代表]]としては[[UEFA U-19欧州選手権2006]]では[[FCバルセロナ|バルセロナ]]時代の同僚[[ジェラール・ピケ|ピケ]]、[[ジェフレン・スアレス|ジェフレン]]、[[バレンシアCF|バレンシア]]の[[フアン・マタ|マタ]]、[[レアル・マドリード]]の[[エステバン・グラネロ|グラネロ]]、[[アントニオ・アダン|アダン]]や、[[スポルティング・デ・ヒホン|ヒホン]]の[[ロベルト・カネージャ|カネージャ]]、などと出場。[[ジェラール・ピケ|ピケ]]と共にCBのレギュラーとしてコンビを組み優勝に貢献。その後カナダで行われた[[FIFA U-20ワールドカップ2007]]にも出場している。
 
== プレースタイル ==
カンテラ時代サイドバック、センターバック、ボランチと色々なポジションでプレー。
やや線が細くフィジカルコンタクトにあまり強くない。しかしそれ以外のDFとしての能力(1対1、カバーリング等)の高さに加え、冷静さ、キャプテンシーも併せ持つ。
特筆すべきは中盤でも対応可能なテクニック、高度な戦術眼、広い視野、パスセンスである。[[FCバルセロナ・アトレティック|アトレティック]]時代にグアルディオラ監督に「バリエンテはピボーテ(スペインで言うボランチ)選手として必要なものをすべて持ち合わせている。」と言われ中盤でも活躍した。
 
== 所属クラブ ==