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[[Imageファイル:Prandtl portrait.jpg|thumb|ルートヴィヒ・プラントル]]
'''ルートヴィヒ・プラントル'''('''Ludwig(Ludwig Prandtl''', [[1875年]][[2月4日]] - [[1953年]][[8月15日]])は[[ドイツ]]の[[物理学者]]。[[空気力学]]の方面で業績を上げた。[[境界層]]、薄翼の理論、[[揚力線理論]]を研究した。[[無次元数]]の[[プラントル数]]の命名者である。
 
[[ミュンヘン]]近郊の[[フライジンク]]に生れた。父親も工学の[[教授]]である1894年[[ルートヴィヒ・マクシミリアン大学ミュンヘン|ミュンヘン大学]]に入学し固体物理を学んで、機械設計者になった。流体機械の設計から流体力学の分野に加わるようになった。
 
1901年ハノーファー工科大学(現[[ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ大学ハノーファー]])の教授になった。1904年に境界層に関する論文を執筆した。[[ゲオルク・アウグスト大学ゲッティンゲン|ゲッティンゲン大学]]に移り、航空流体工学の先端研究機関とした。1925年に {{lang|de|Kaiser-Wilhelm-Institut für Strömungsforschung}}(カイザー・ヴィルヘルム・流体力学研究所)を創立した。
Kaiser Wilhelm Institute for Fluid Mechanicsを創立した。
 
[[フレデリック・ランチェスター]]と3次元翼の理論(ランチェスター=プラントル理論または揚力線理論)を1918年から1919年に発表した。キャンバーをもつ薄翼の理論も研究した。翼端効果の重要性を示した。それまで考慮されなかった翼端渦が抗力を引き起こすことを示した。
 
1908年にテオドル・マイヤー (Theodor Meyer) と共に、超音速衝撃波の理論を初めて示した。超音速風洞の構造も考案した。
 
その他にハーマン・グロワート([[:en:Hermann Glauert|Hermann Glauert]], 英、1892 - 1934)1934年)とともに[[プラントル=グロワートの法則]]に名前を残している。
 
==関連項目==
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[[category:ドイツの物理学者]]
[[Category:航空エンジニア]]
[[Category:水理学に関する人物]]
[[Category:1875年生]]
[[Category:1953年没]]
[[Category:水理学に関する人物]]
 
[[bg:Лудвиг Прантъл]]