「クリスチャン5世 (デンマーク王)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Libertas (会話 | 投稿記録)
Libertas (会話 | 投稿記録)
17行目:
クリスチャン5世には王妃[[シャルロッテ・アマーリエ・フォン・ヘッセン=カッセル|シャルロッテ・アマーリエ]]との間に8人、愛人との間に6人の子供がいた。16歳の愛人アメリア・モス(1654年 - 1719年)を公然と宮廷に引き入れ、自らの妃を侮辱することもした。アメリア・モスはクリスチャン5世の家庭教師ポール・モスの娘であったが、[[1677年]][[12月31日]]には彼女を伯爵夫人にさえした。
 
スコーネ戦争後、妹[[ウルリカ・エレオノーラ・アヴ・ダンマルク|ウルリカ・エレオノーラ]]がスウェーデン王[[カール11世 (スウェーデン王)|カール11世]]に嫁ぐ。カールの母[[ヘトヴィヒ・エレオノーラ]]は[[ホルシュタイン=ゴットルプ家]]出身であった。このような姻戚関係にも拘わらず、1689年には亡命中のホルシュタイン=ゴットルプ公[[クリスティアン・アルブレヒト (ホルシュタイン=ゴットルプ公)|クリスティアン・アルブレヒト]]の後ろ盾を得たカール11世がデンマークに対して危うく戦争を仕掛けるなど、緊張状態が生じた(ゴットルプ公領からクリスティアン・アルブレヒトを追放した事が原因で、カール11世のみならず、[[神聖ローマ皇帝]]の非難を受ける事となった)。<ref name="Upton"/>
 
スウェーデンから一歩も出たことがなく、ドイツ語とスウェーデン語しか話さないために外交使節が訪れた時に直接会話することができず、知性的ではないと見なされがちであったカール11世<ref name="Upton">Upton, Anthony F. (1998). ''Charles XI and Swedish Absolutism, 1660-1697''. Cambridge University Press, 1998. ISBN 0521573904.</ref>と似て、クリスチャン5世も教育がなく、顧問官たちに依存していると同時代資料では見なされていることが多い。王自身もこのようなうわさを打ち消す方策を何も取らなかった。その回想録には「狩猟、情交、戦争、海事」が主な関心事であると記されている<ref name="Nielsen">Nielsen, Kay Søren (1999). [http://www.thm.dk/publ/ksn/ksn1_1.htm ''Christian V - Konge og sportsmand'']. The Royal Danish Arsenal Museum, Net Publications, 1999.</ref>