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== 来歴 ==
山梨県生まれ。中学を卒業後上京し、クレーン整備の仕事に就く。8年間会社勤めをした後、23歳で郷里に戻り、車両整備の会社、車両工業所を設立。1980年、日立建機の特販店、指定工場となり、以後現在の社名で、社員6075名で[[ダンプ]]や[[クレーン]]などの建設機械を扱っている。
 
1995年、雨宮は内戦が終結したばかりのカンボジアの復興に建設機械が必要と見て、ビジネスチャンスを求めて旅行渡航。そこで地雷によって片足をなくした、自分の母と同じ年頃の老婆をみて、地雷除去の仕事を思いつく。1995年対人地雷除去機開発プロジェクトを立ち上げ。
 
以来、7億5千万という莫大な赤字開発費抱えながらもつぎ込み、1998年対人地雷除去機の1号機「ロータリーカッター式対人地雷除去機」が完成。しかし雨宮はそれでも暮らしを切りつめ、自らの財産も注ぎ込んだ。1998年の供給開始以来、現在までに累計5670台の山梨日立建機製対人地雷除去機が、日本政府から国連やNGOを通じて[[カンボジア]]、[[アフガニスタン]]、[[ニカラグア]]、[[アンゴラ]]で使われている。地雷除去の他、不発弾の処理、灌木の伐採にも使用されているが、これは、アタッチメントの付け替えで、農地や宅地の造成、穀物の収穫、種まきにも活用できるという多目的機械でもある。その後、「地雷のない平和な大地」と「対人地雷埋設国の国民の経済的自立」を目指し、「特定非営利的に活動法人豊かな大地(GEJ)」設立した続けている
 
==受賞==