「シュレースヴィヒ=ホルシュタイン公国」の版間の差分

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'''シュレースヴィヒ=ホルシュタイン公国'''は[[ユトランド半島]]南部に位置した二つの小[[公国]]。両国ともに[[ドイツ人]]、[[デーン人]](デンマーク人)が混在していたため、[[中世]]以来争いが絶えなかった。
 
*[[1460年]]、[[デンマーク王国]]([[オルデンブルグ朝|オルデンブルグ家]])が両国を[[同君連合]]とする。
*[[1544年]]、オルデンブルク家の分家[[ホルシュタイン・ゴットルプ家]]に移譲。
*[[1751年]]、ホルシュタイン・ゴットルプ家の一族が、[[スウェーデン]]王に迎えられる。
*[[1762年]]、[[ロシア帝国]]の[[皇帝]]([[ツァーリ]])に迎えられる。
*[[1773年]]、両国ともデンマーク王に帰属する(同君連合)。
*[[1842年]]、ホルシュタイン公国でドイツ系の反乱。
*[[1848年]]、第一次[[シュレースヴィヒ・ホルシュタイン戦争]]。
*[[1863年]]、デンマーク王に[[グリュックスブルク家]]が迎えられる。
*[[1864年]]、第二次シュレースヴィヒ・ホルシュタイン戦争。
*[[1866年]]、[[普墺戦争]]の結果により、[[プロイセン王国]]に帰属。
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[[15世紀]]以降は両国とも[[デンマーク]]の主権下に入ったが、ホルシュタインを中心に[[ドイツ系]]の住民が増加したために[[ドイツ]]との係争地となる。[[1864年]]ついにドイツ([[プロイセン王国]]主導)とデンマークの間で[[戦争]]が勃発([[シュレースヴィヒ・ホルシュタイン戦争]])。ドイツは[[オーストリア帝国]]と連合しデンマークに勝利する。
 
[[1866年]]、当地の帰属問題と[[オットー・フォン・ビスマルク|ビスマルク]]の挑発でドイツ・オーストリア間に戦争勃発([[普墺戦争]])。[[モルトケ]]率いるドイツがオーストリアに圧勝し、ドイツ統一のステップとなる。

[[1920年]][[第一次大戦]]で敗れた[[ドイツ帝国]]は、北シュレースヴィヒを故国デンマークに返還した。
 
地域区分・名称的には[[シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州]]の前進。