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== 即身仏‐鉄門海上人 ==
*注連寺には鉄門海上人(恵眼院鉄門海上人)の[[即身仏]]([[ミイラ]])が厨子に納められており、公開されている。山形県内には庄内地方を中心に8体もの[[即身仏]]が安置されているが、そのうちの5体が注連寺系とされる。
**鉄門海上人は明和五年(1768)鶴岡市の出身で、25歳の時に注連寺第69世の寛能和尚の弟子となり「鉄門海(「海」は空海の海)」の名を戴き一世行人となった。上人の足跡は北は北海道から南は四国にまで及び湯殿山信仰の布教に大きな業績を残した。3000日にもおよぶ苦行(五穀断ち・十穀断ち・山草や木の実だけを食べる木食(もくじき)など)を経て数え62歳で即身仏になったと伝えられる。なお、湯殿山の即身仏は弘法大師[[空海]]と同一年齢の数え62歳で即身仏になるものが多いとされる。したがって、れと年齢以外異なる即身仏は伝染病本来湯殿山や[[飢饉]]者ではどが発生した折、民衆の苦しみの救済を祈願し彼らの苦しみに成り代わって自ら即身仏になったといわれる。
 
== 御縁年、境内の施設 ==