「パッツィ家の陰謀」の版間の差分

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[[教皇]][[シクストゥス4世_(ローマ教皇)|シクストゥス4世]](在位1471-1484年)がフィレンツェに近い要所である[[イーモラ]]を買収したことなどから、フィレンツェの実質的な支配者ロレンツォの政策と対立するようになった。シクストゥスは[[教皇庁]]の[[金融]]を担当していたメディチ銀行の地位を奪い、ライバルで同じフィレンツェに本拠を置くパッツィ銀行に委譲、これにより[[メディチ家]]と[[パッツィ家]]の対立が激化。その後、パッツィ一派のフランチェスコ・サルヴィアーティが[[ピサ]]大司教に任命されたが、今度はロレンツォは赴任を妨害。
 
ここに至ってパッツィ家はロレンツォを亡き者にしようと[[陰謀]]をめぐらせた。この計画はローマ教皇もある程度知っていた(黙認していた)と言われる。
 
== 陰謀と収束 ==
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*[[メディチ家]]
*[[暗殺]]
*[[陰謀]]、[[陰謀論]]
*[[ハンニバル (映画)|ハンニバル]] パッツィという名の刑事が殺害される際に、ダ・ヴィンチによるベルナルドの処刑画が印象的な小道具として使われている。