「渡辺高夫」の版間の差分

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1987年、埼玉栄高校では巽博和らを擁し全国高校駅伝に出場、3区間で区間賞を獲得するなど2時間05分57秒の大会新記録で同校を初優勝へ導いた。その後ミヤマへ移籍。1995年、MDIの経営不振による同社陸上競技部休部に伴い、実井やニジガマら部員と共に、新規創設された日清食品陸上競技部へ移籍した。
 
日清食品では週1、2回のトラックでの練習時以外は、故障発生を低減化させる目的・集中力を研磨する目的・より良いフォームで走らせる目的・筋力と心肺機能を向上させる目的で、勾配のある未舗装・不整地の野山を走らせる[[クロスカントリー]]コースを使った練習を徹底的に行なわせた<ref>「五輪見えた! マラソン・実井、飛躍の秘密はクロカン走」『毎日新聞』 1996年2月20日、東京夕刊、3頁</ref>。この成果などにより実井謙二郎を1996年[[アトランタオリンピック]]男子[[マラソン]]日本代表に選出されるほどに成長させた。
また、アトランタオリンピックでは男子マラソンコーチとして実井に帯同した。その後、1998年7月に日清食品陸上競技部監督を辞任した。
 
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