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[[全国高等学校駅伝競走大会]]では埼玉栄高校で1回(1987年)、仙台育英高校で6回(1999年、2001年、2003年-2005年、2007年)の優勝を誇る。
 
MDI(現・[[レオパレス21]])、その後日清食品では[[実井謙二郎]]、[[アロイス・ニジガマ]]、[[ジュリアス・ギタヒ]]、仙台育英高校では[[ジェームス・ワイナイナ]]、[[サムエル・カビル]]、清野純一<ref>'''清野純一'''(せいの じゅんいち、1984年 - )は日本の陸上競技選手、指導者。仙台育英高校陸上競技部コーチを経て監督。仙台育英高校在学時には2001年の全国高校駅伝では3区(8.1075km)を走り優勝を果たす。2002年[[世界ジュニア陸上選手権]]10000m11位。その後[[順天堂大学]]へ進み[[東京箱根間往復大学駅伝競走|箱根駅伝]]には3度出場。4年時[[第83回東京箱根間往復大学駅伝競走|第83回箱根駅伝]]では6区(20.7km)山下りを走り、[[今井正人]]、佐藤秀和らと共に総合優勝に貢献した。</ref>、[[サムエル・ワンジル]]、[[佐藤秀和]]、[[高橋優太 (陸上選手)|高橋優太]]、[[ミカ・ジェル]]、[[絹川愛]]をはじめとする数多くの選手を指導し鍛え上げた。
 
1987年、埼玉栄高校では巽博和らを擁し全国高校駅伝に出場、3区間で区間賞を獲得するなど2時間05分57秒の大会新記録で同校を初優勝へ導いた。その後ミヤマへ移籍。1995年、MDIの経営不振による同社陸上競技部休部に伴い、実井やニジガマら部員と共に、新規創設された日清食品陸上競技部へ移籍した。
 
日清食品では週1、2回のトラックでの練習時以外は、故障発生を低減化させる目的・集中力を研磨す高めさせる目的・より良いフォームで走らせる目的・筋力と心肺機能を向上させる目的で、勾配のある未舗装・不整地の野山を走らせる[[クロスカントリー]]コースを使った練習を徹底的に行なわせた<ref>「五輪見えた! マラソン・実井、飛躍の秘密はクロカン走」『毎日新聞』 1996年2月20日、東京夕刊、3頁</ref>。この成果などにより実井謙二郎を1996年[[アトランタオリンピック]]男子[[マラソン]]日本代表に選出されるほどに成長させた。
また、アトランタオリンピックでは男子マラソンコーチとして実井に帯同した。その後、1998年7月に日清食品陸上競技部監督を辞任した。
 
== 関連項目 ==
*[[大東文化大学の人物一覧]]
*[[両角速]] - 仙台育英高校と競い合うライバル[[佐久長聖高等学校|佐久長聖高校]]の陸上競技部監督。
 
== 脚注 ==
9,701

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