「マーシャル・ニーレンバーグ」の版間の差分

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ニーレンバーグは、ハリーとミネルバの子として[[ニューヨーク]]で生まれた。彼は子供の頃に[[リウマチ]]を患ったため、一家は[[亜熱帯性気候]]の[[フロリダ州]][[オーランド]]に引っ越した。彼は生物学に興味を持ち、[[フロリダ大学]]で動物学を専攻し、1948年に学士号、1952年に修士号を取得した。彼は修士時代には[[トビケラ]]の生態学と毒性について研究した。そして1957年に[[ミシガン大学]]で生化学の博士号を取得した。
 
彼はアメリカ癌学会のフェローとして1957年にアメリカ国立衛生研究所で研究を始め、1960年にアメリカ国立衛生研究所所属の生化学者となった。1959年よりDNAからRNA、タンパク質に至る[[セントラルドグマ]]の研究を始めた。ニーレンバーグの画期的な研究が認められ、彼は1962年に生化学・遺伝学部門の責任者となった。1961年には[[ブラジル]]の[[リオデジャネイロ]]出身の化学者であるペロラ・ザルツマンと結婚した。彼女は、2001年に他界した。2005年に[[コロンビア大学]]医科大学院教授のMyrna M. Weissmanと再婚した。
 
ニーレンバーグは、1964年に[[アメリカ国家科学賞]]、1968年に[[ハー・ゴビンド・コラナ]]と共に[[コロンビア大学]]より[[ルイザ・グロス・ホロウィッツ賞]]を受賞、同年に[[リンドン・ジョンソン]]大統領より国家栄誉賞を授与された。2001年には[[アメリカ哲学会]]の会員に選ばれた。
 
{{ノーベル生理学・医学賞受賞者 (1951年-1975年)}}