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[[ファイル:Tanezo Nakae of bronze statue in Toyooka Hyogo.JPG|thumb|250px|[[寿ロータリー (豊岡市)]]に建つ銅像]]
 
'''中江 種造'''(なかえ たねぞう、[[1846年]]([[弘化]]3年) - [[1931年]]([[昭和]]6年)))[[3月27日]])は、[[古河財閥]]を興す礎となり「鉱山王」とよばれた人物。
 
[[但馬国]][[豊岡藩]]の下級武士の子として生まれ(父・河本筑右衛門元則、母・松子)、1858年(安政5年)、豊岡藩士・中江晨吉の養子となり、藩警護役のかたわら火砲技術や数学・測量を学ぶ。1868年(慶応4年)、[[戊辰戦争]]において京・桂御所の警備につき、砲術家・[[久世治作]]に従い理化学を学んだ。
 
明治新政府より「貨幣司」([[造幣局 (日本)|造幣局]]の前身)勤務の命を受け、そこで身につけた金属分析技術をもって、貨幣司から鉱山司に転任となり、[[但馬国]](現・兵庫県[[朝来市]])の[[生野銀山]]の再興の職に就く。ここでフランスより来ていた[[お雇い外国人|外国人技師]][[ジャン・フランシスク・コワニエ]]らと協同し、最新の鉱山技術や[[製錬]]・[[冶金]]技術を学ぶ。
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* [http://www.shinkin.co.jp/tanshin/zaidan/1hito/22nakae/ 中江種造](但馬の百科事典)
 
{{DEFAULTSORT:なかえ たそう}}
[[Category:1846年生]]
[[Category:1931年没]]
[[Category:兵庫県出身但馬国の人物]]
[[Category:日本の鉱業]]