「竹内ゆうじ」の版間の差分

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実家は祖父の代から続いているおでん屋で、本人が番組に出演した時に登場したことがある。
 
[[吉本総合芸能学院|大阪NSC]]9期生。同期には[[ナインティナイン]]、[[チュパチャップス]]などがる。過去に「[[WTrap]]」(ダブルトラップ)というコンビで活動していた。
 
「[[クイズ!紳助くん]]」で、『なにわ突撃隊』メンバーとして出演。最初は何かと泣き事を言ったり涙を流したりする姿が視聴者の笑いを誘い「'''へたれゆうじ'''」「'''泣き虫ゆうじ'''」など、様々なあだ名を付けられたが、晩年には弱虫な面を返上、根性と気合いで数々の挑戦シリーズに参加、突撃隊の古参メンバーとして「'''ミスター突撃隊'''」と称されるほどの成長ぶりを見せた。また同じく「クイズ!紳助くん」で競演していた[[島田まさし]]とのコンビは話題を呼び(紳助は二人を「お涙ちょうだいブラザーズ」と呼んだりした)、他の番組でも2人でレギュラー番組を持ったり、二人で世界を旅するドキュメンタリー番組が製作された。
 
[[2005年]][[7月]]に[[悪性腫瘍|癌]]が見つかり闘病生活を送っていたが、2007年[[12月10日]]、[[大腸癌|直腸癌]]のため36歳の若さで死去した。発見時、既に[[肝臓]]や腹膜に転移した末期状態であり、余命半年と言われていたが2年5月の間闘い続けた。この間、兄貴分である[[島田まさし]]や師匠と呼んで慕っていた[[島田紳助]]に「気合で死にません」と発言したり、弱気な発言を行うなどしていたと言う(追悼番組より)。
 
なにわ突撃隊としての最後のロケは、2007年[[6月]]の[[愛媛]]の[[宇和島]]ロケで、当時末期がんに侵されていた彼は、気力体力を振り絞って収録を行った。
 
葬儀・告別式では歴代のなにわ突撃隊のメンバーが集まり、また死後の[[12月17日]]に「クイズ!紳助くん」では追悼番組が放送された。自身の闘病生活を綴った書籍「消えろクソがん」は死後発売されたものであり、事実上の遺作となった。
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== 書籍==
*『消えろクソがん:日本一諦めの悪い芸人の闘病日記』(ワニブックス,2008年)ISBN 9784847017568
 
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