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== 歴史 ==
[[ナポリ]]の[[ジャンバッティスタ・デッラ・ポルタ]](Giambattista della Porta 1535年 – 1615年)の『博学史』(1589年、20巻)の17巻の10章が望遠鏡についての記述がある(このことは[[ヨハネス・ケプラー]]の『屈折光学』([[1611年]])にもデラ・ポルタが20年前に望遠鏡を発明した記述されている。)。[[ネーデルラント連邦共和国]]のベックマン(ヤンセンの息子サカリアセンからレンズ研磨を習った)の日誌によると、1604年に[[ミデルブルフ]]の眼鏡職人[[ツァハリアス・ヤンセン]]がイタリア人の所有の1590年と書かれた望遠鏡を真似て作ったという。シルトリによると自分の客から作り方をならったオランダ、ミッテルブルフの眼鏡職人[[ハンス・リッペルスハイ]](ハンス・リパシューとも、Hans Lippershey 1570年 – 1619年)が「kijker」と命名した2枚のレンズ組み合わせた望遠鏡について[[1608年]]10月2日、[[特許]]申請を[[オランダ総督]]にした。10月14日にはAlkmaarのJ.アドリアンスゾーン・メチウス(Adriaanszoon Metius 1571年 - 1635年 1598年からフラネカー大学教授)が特許申請を行なった(2年間改良していたという)。この同時申請のため特許はどちらにもおりなかった。リッペルスハイは双眼望遠鏡も作り、また[[マウリッツ (オラニエ公)|マウリッツ]]総督の命により900[[フロリン]]で軍用望遠鏡を作った。日本においては近藤正斉の『外藩通書』によれば1613年([[慶長]]18年8月4日)に「慶長十八年八月四日、インカラティラ国王ノ使者於駿城御礼申上ル…長一間程之遠眼鏡六里見之ト見ユ」とあり、イギリスの[[ジェームズ1世 (イングランド王)]]の使い[[:en:John_Saris|ジョン・セーリス]]が[[徳川家康]]に献上のもの(現[[徳川美術館]]所蔵)が最古とされる。<ref>齋藤隆一 「望遠鏡は1537年にあったか」(参考文献 斉田博「望遠鏡の発明前後」『星の手帖』({{Jdate|1982}}冬号 河手書房新社)他) 季刊『邪馬台国』{{Jdate|1993}}秋号52号 梓書院 p200-</ref>
 
=== 天体観測 ===