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[[ソビエト連邦]]が[[1979年]]に[[アフガニスタン]]に侵攻したことにより始まった[[ソビエト連邦のアフガニスタン侵攻|ソ連・アフガン戦争]]の際、[[パキスタン]]が支援したムスリムの[[ゲリラ]]たちは、自分たちの闘争をアフガニスタンのイスラムを防衛するジハードと位置付け、自らムジャーヒディーンと名乗った。その代表的な組織が、[[ブルハーヌッディーン・ラッバーニー]]が組織し、[[アフマド・シャー・マスード]]が軍事的に率いた「イスラム協会」や、[[グルブッディーン・ヘクマティヤール]]が率いる「イスラム党」であり、その他にも多くの[[軍閥]]が群雄割拠した。
 
アフガニスタンのムジャーヒディーンには、アフガニスタンのみならずイスラム世界の各地から[[志願兵]]として若者が集まってきたが、その中心人物が[[アドゥッラー・アッザーム]]で、[[ウサーマ・ビン=ラーディン]]もその志願兵の1人だったということが知られている。
 
アメリカも[[アメリカ中央情報局|CIA]]を通じてこのようなゲリラ組織に武器や装備(有名なものでは[[スティンガーミサイル|スティンガー対空ミサイル]]など)を提供していたが、東側の兵器に比べメカニズムが高度かつ高価であるため、損耗しても修理や補充がきかず次々に失われていったようである。ただし、西側製の装備は上掲のスティンガー