「ヤナ・ノボトナ」の版間の差分

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ノボトナはダブルスの名手としても定評があり、様々な選手たちとペアを組んで、すべての4大大会でダブルスのタイトルを獲得した。[[1989年]]から[[1990年]]にかけては同じ[[チェコスロバキア]]の[[ヘレナ・スコバ]]とペアを組み、[[1990年]]のシーズンは4大大会女子ダブルスに3連勝しながらも、[[1990年全米オープンテニス|全米オープン]]女子ダブルス決勝で[[ジジ・フェルナンデス]]と[[マルチナ・ナブラチロワ]]の組に敗れ、同一ペアによる女子ダブルスの[[グランドスラム (テニス)|年間グランドスラム]]を逃したことがある。[[1994年]]から[[1995年]]にかけては、[[スペイン]]の[[アランチャ・サンチェス]]がダブルスのパートナーだった。[[1998年]]には[[マルチナ・ヒンギス]]とペアを組み、[[1998年全仏オープンテニス|全仏オープン]]から[[1998年全米オープンテニス|全米オープン]]まで4大大会女子ダブルス3連勝を達成した。(ヒンギスはこの年、[[1998年全豪オープンテニス|全豪オープン]]だけはパートナーが[[ミリヤナ・ルチッチ]]だった。ヒンギスは[[1998年]]度の「ダブルス年間グランドスラム」が成立する。)
 
ノボトナは[[テニス競技 (夏季オリンピック)におけるテニス競技|オリンピックテニス競技]]にも、[[ソウルオリンピックにおけるテニス競技|1988年ソウル五輪]]・[[バルセロナオリンピックにおけるテニス競技|1992年バルセロナ五輪]]・[[アトランタオリンピックにおけるテニス競技|1996年アトランタ五輪]]の3度出場した。ノボトナと[[ヘレナ・スコバ]]は、ソウル五輪とアトランタ五輪で2個の女子ダブルス銀メダルを獲得している。1988年ソウル五輪は、オリンピックにプロテニス選手の出場を認めた歴史的な大会である。ノボトナとスコバは、女子ダブルス決勝で[[アメリカ合衆国|アメリカ]]代表の[[ジーナ・ガリソン]]&[[パム・シュライバー]]組に 6-4, 2-6, 8-10 で敗れ、テニス女子ダブルスの「復活金メダル」を逃した。[[1988年]]と[[1992年]]、彼女は「[[チェコスロバキア]]」のオリンピック代表選手であったが、[[1993年]]にチェコスロバキアが連邦解体して「[[チェコ]]共和国」と「[[スロバキア]]共和国」に分かれる。チェコスロバキア解体後、ノボトナはチェコの代表選手として[[1996年]]のアトランタ五輪に出場し、女子ダブルス銀メダルと女子シングルスの銅メダルを獲得した。
 
ノボトナは[[1999年]]の[[1999年全米オープンテニス|全米オープン]]3回戦で[[アンケ・フーバー]]に敗れた後、この年限りでの現役引退を表明した。同世代に当たる[[シュテフィ・グラフ]]も少し前の8月13日に現役引退を表明したので、女子テニス界は2人のベテラン選手のトップを相次いで失うことになった。[[2005年]]7月9日に[[国際テニス殿堂]]入りを果たしている。