「勢力均衡」の版間の差分

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[[19世紀]]のイギリス[[外相]]であった[[ジョン・ラッセル]]は勢力均衡について、ヨーロッパでは要するに数か国の独立を意味すると述べている。均衡関係とは必ずしも友好関係の有無やその程度を示すものではないが、このラッセルの認識は自国の存立や[[国益]]の確保のみならず、近隣諸国との相互に等質性そのものに意義を置いていることがわかる。この勢力均衡が[[安全保障]]の主流であった時代においては、世界における安全保障の中心はあくまで自国の[[国家]]、[[国民]]、[[領土]]、そして国益の確保を主な使命とする個別安全保障にあった。ヨーロッパにおいては文化的統一性や武器による殺傷能力の限界から勢力均衡が戦争の激化を避けるに至っていることから、勢力均衡体制は当時の[[政治家]]、[[外交官]]、国際法学者の間では評価されたモデルである。
 
最も勢力均衡の基礎となったのは、[[三十年戦争]]の[[講和条約]]である[[ヴェストファーレン条約]]によりもたらされた[[ヴェストファーレン体制]]である。この体制は、19世紀に入り[[ナポレオン戦争]]によって完全に瓦解するものの、勢力均衡の基本的な枠組は、[[ウィーン体制]]などに引継がれる事となった。
 
==特徴==