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:貝子(ベイヅ)。[[:zh:载治|載治]](ツァイチ)貝勒の第四子。隠志郡王[[:zh:爱新觉罗·奕纬|奕緯]](イーウェイ)[[:zh:多罗贝勒|多羅貝勒]]の孫。
;[[崇禎帝]] / 朱由検(ジュ ヨウジァン)
:明朝最後の皇帝。[[1627年]]、天啓帝が死去して即位すると、専横を極めていた宦官の[[魏忠賢]]を死に追いやり、名臣として名高い[[徐光啓]]を登用するなど国政改革に取り組む。しかし、1630年、宦官<ref>ホンタイジと内通していたといわれている。</ref>の讒言を容れ、山海関の外郭[[興城市|寧遠城]]で満州族からの防衛を一手に引き受けていた名将[[袁崇煥]]を誅殺した。袁崇煥の後任が呉三桂である。1644年、李自成軍に攻め込まれ、紫禁城の北にある[[:zh:景山公園|景山]]で首をつって自殺した。明朝滅亡後、[[鄭芝竜]]達は唐王[[隆武帝|朱聿鍵]]を擁立して[[南明]]政権を樹立。[[鄭成功]]<ref>司馬遼太郎の『大盗禅師』で明朝滅亡後の[[鄭成功]]らが描かれている。</ref>らの抵抗運動は最終的には台湾へ逃れていった。
;[[:zh:王承恩|王承恩]](ワン チェンオン)
:崇禎帝に仕えた宦官。