「京阪1800系電車 (初代)」の版間の差分

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淀屋橋地下線開業に際し、1961年から側窓へ保護棒が設置された。1963年には1900系新造車が登場したが、車体長の短さや[[空気バネ]]台車を装備していなかったことなどにより、本系列は1700系共々一般車に格下げされた。
 
まず2扉・特急色のままロングシート化<ref>座席は格下げ後もえんじ色のモケットが使用されていた。</ref>とテレビ撤去が行なわれ、1966年には3扉・一般色化された。増設扉は窓割の関係から車体中央部の側窓2枚を潰して設置され、1700系同様戸袋窓のない両開き扉を設けとし窓配置はd1(1)D3D"3D(1)1(d:乗務員扉、D:客用扉(片開)、D":客用扉(両開)、(1):戸袋窓、数字:側窓数)となった。3扉化の際には、1881 - 1883は運転台を撤去して、1851 - 1853に改番している。また、窓のアルミサッシ化も正面窓から徐々に進められた。
 
なお、1810系のうち空気バネ台車を装備していなかった2両の中間車1884・1887も1800系に編入され、1963年に2扉・特急色のままロングシート化とテレビ撤去され、1887は妻扉の狭幅化が行なわれた。1966年には3扉・一般色化が行なわれたが、これらは車体長が18mで1m長く、増設扉も片開きであった<ref>この改造により窓配置は2(1)D9(1)D3(D:客用扉(片開)、(1):戸袋窓)から2(1)D3(1)D3(1)D3に変更された。</ref>。この3扉化の際に旧1985・1986の電気機器を用いて中間電動車化され、1871・1872に改番されたが、1967年には1881・1882(2代)に再改番されている。