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[[消防団]]では現在も[[消防団員]]の制服である([[総務省]][[消防庁]]の「消防団員服制基準」では「乙種衣」と呼称している)。これは戦前・戦中の[[消防組]]および[[警防団]]から続く伝統である。
 
 
--[[利用者:Kuronori|Kuronori]] 2010年1月31日 (日) 08:33 (UTC)
法被と絆纏の違い
法被と絆纏の違いは服装の歴史から見てもあまりはっきりしないのが事実のようです。
東京堂の『事物起源辞典・衣食住編』の記述から察すると、江戸時代、法被は民間のものとして発達して来たものではなく、武家社会で生まれ伝えられてきたもので、それが明治時代になっても官員などの生活の中に受けつげられてきた伝統を示している様です 。
 
絆纏は逆に庶民・町民・職人を中心に日常生活に溶け込んだ労働着とも言えるでしょう。 江戸時代に一般庶民は羽織禁止令が出たため、襟を返す羽織(当時の法被も襟を返して着用)の変りに法被が形を変えてその末端の所で袢纏との混同が始まったようであります。羽織と法被の圧倒的違いは…襟と袖です。襟を折り返すのが羽織返さないのが法被、羽織の袖は袂(たもと)袖となり、法被は筒袖の違いがはっきりしています。
 
お武家さまの着物の上に羽織るものの羽織禁止令後に職人・町人を中心として襟を折り返さないしかも袂(たもと)の無い今の筒袖に変化してきたと推測されます。この段階で法被と袢纏の混同が始まったようです。職人には印袢纏・町火消しには火消袢纏・祭りには祭袢纏とそれぞれの伝統と文化を今でも受け継げられて紺屋〔染工場〕が今でも日本全国にございます。日本の江戸時代の伝統と文化を語るのには法被は必ず必要でしょう。
2010年Wikipediaに情報投稿しました。
 
 
 
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