「フェルデン司教区」の版間の差分

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==歴史==
およそ800年頃、[[カール大帝]]による[[ザクセン人]]のキリスト教化が進められる過程で[[フェルデン]]に設けられ、[[マインツ]]教会管区のもとに置かれた。ほとんどの歴代司教は[[コルヴェイ修道院]]出身であり、この司教区の中心となる教会はフェルデン司教座教会であった。10世紀末、フェルデン司教はシュトゥルミガウに所領を得て世俗君主としての性格を有するようになり、[[領邦]]フェルデンが形成されていった。16世紀半ばより[[宗教改革]]の影響が及ぶようになり、[[プロテスタント]]の教会法令に従って、エバーハルト・フォン・ホレ(Eberhard von Holle wurde)のもとプロテスタント化が完了した。[[三十年戦争]]中、 カトリック側の巻き返しに伴って、ほんの一時期だけフェルデン司教フランツ・ヴィルヘルム・フォン・ヴァルテンベルク(Franz Wilhelm von Wartenberg)のもとローマ・カトリックに復帰したが、まもなくプロテスタントが勢力を回復し、フェルデン司教区も廃された。その後、カトリック側はかつてのフェルデン司教区を「北ドイツ代牧区」(Apostolische Vikariat des Nordens)のもとに置き、1824年より[[ヒルデスハイム司教区]]に組み込んだ。
 
== 参考文献 ==