「フェルデン (アラー)」の版間の差分

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=== 中世 ===
[[ザクセン戦争 (カール大帝)|ザクセン戦争]]おけるカール大帝による残虐行為は、[[782年]]、[[ザクセン人|ザクセン]]の支配地であったフェルデン周辺でピークに達した。[[フランク王国|フランク王]]への臣従と[[キリスト教]]への[[改宗]]を拒んだために、記録上4,500人の住民が処刑されたのである(「フェルデン血の裁判」)。
 
その後数世紀の間この街は2つの核となる集落が結びついて1つの都市が並行する形で成長しになっていった。それぞれの集落は、[[役所庁舎]]やヨハンニス教会のある北市と、宗教的な中心であったフェルデン聖堂やアラー川沿いの漁村と[[大聖堂]]周辺の宗教センターからなる南市であるとなったカール大帝によるキリスト教化が進められる過程で[[フェルデン司教区]]が設けられ、9世紀初めから1643年までの間に50人がフェルデン[[司教]]に就いた。フェルデンは[[1259年]]3月12日に、司教特権により[[ブレーメン]]のそれ都市法準ずるならったものを制定し、司教特権によって[[都市権]]授けられた。[[1568年]]、地元有力者とプロテスタント監督官の領邦君主でありフェルデン司教のエーバーハルト・フォン・ホレによってフェルデン地方司教区に[[宗教改革]]がもたらされた。北市と南市は[[1667年]]に[[スウェーデン君主一覧|スウェーデン女王]][[クリスティーナ (スウェーデン女王)|クリスティーナ]]によって強制的に合併させられた。
 
=== 近世 ===
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