「避病院」の版間の差分

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Ichiro Kikuchi (会話 | 投稿記録)
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==避病院の記録==
野崎久一は「避病院覚書」と題し、終戦直後、自分が入院した青森県車力村の赤痢集団発生時の避病院を記録している。13枚のスケッチ、小屋、病者の生活、火葬の記述など貴重な記録である。重症者の家族が粗末な小屋でリンゴを擦っている。医師は2日に1回訪れる。火葬は300300メートル離れた小屋でおこなう。
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終戦後帰郷、集団赤痢の一員としてノマ小屋に収容された。高熱と死の恐怖の中にあって、悲惨な状況を後世に伝えたいという思いから、眼にみえるもの、その奥にあるものを必死になって書きとめた。出所した時、原稿用紙をクレゾール溶液で消毒され、やっと持ち出すことができた。13枚のスケッチ、小屋、病者の生活、火葬の記述など貴重な記録である。医師は隔日に訪れたとある。松の切り株がある所の遠景がある。粗末な小屋だ。病舎内は薄暗い。最も完備せる小屋に4人が寝ている。軽症小屋の炊事風景がみられる。重症者は個室か。小屋の中でリンゴを擦っている介護人がいるが、患者の親戚だ。軽症患者が飯盒のようなものの前にいる。看護医療係のテントが描かれている。軽症小屋で談笑している。火葬の場所は300メートル離れている。その形式の図がある。火葬には4時間かかる。亡くなった人数は調べたがわからない。面白いのは来るべき村会議員選挙のために、見舞いにくる議員がいることである。別の所には医師の投薬注射は3日に1ヘンで、それも、ブドウ糖の注射だけとある。