「川田芳子」の版間の差分

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[[1895年]](明治28年)[[10月17日]]、[[新潟市]]の[[花街]]、古町に踊りの師匠の娘として生まれる。11歳のとき、一家で上京し、「藤間勘翁」に師事する。[[新橋]]から[[芸妓]]になった後、[[川上貞奴]]の門に入り、「川上芳子」の芸名で「[[帝国劇場]]」で初舞台を踏む。しばらく、[[新派]]の舞台で活躍した。
 
[[1920年]](大正9年)、その美貌をかわれて創立早々の[[松竹|松竹キネマ]]にスターとして迎えられる。早速『[[島の女]]』に主演。[[松竹蒲田撮影所]]の最初の女優として人気を博する。当時の人気俳優[[諸口十九]]との共演作を次々と発表し、この二人の人気は、[[栗島すみ子]]・[[岩田祐吉]]のコンビと並んで松竹蒲田のドル箱コンビだった。
 
モダンな華々しさが魅力の栗島とは対照的に、純日本的なしとやかさを魅力に、日本的でおとなしいものの芯はしっかりした女性像を演じて、人気を保ち続けた。特に、当時のベストセラーの[[鶴見祐輔]]の原作を映画化した[[1929年]](昭和4年)の[[野村芳亭]]監督の『母』では、万人の涙を誘った。