「ブラーツクダム」の版間の差分

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[[バイカル湖]]から流れ出る[[アンガラ川]]は、ブラーツク下流で[[エニセイ川]]に合流する。アンガラ川側には相応の落差があることは古くから知られており、[[水力発電]]所の設置に好位置とされダム設置の計画が進められた。しかし、物資を運搬する手段もない僻地であり、ダム工事の着手はバム鉄道の延伸を待たねばならなかった。当地を目指した鉄道建設は、[[1940年代]]から進められており、ブラーツク付近の鉄道工事には[[シベリア抑留]]で駆り出された[[日本人]]も[[強制労働]]として動員された。当地で倒れた日本人の[[墓地]]は、現在はダム湖の底に沈んでいる。
 
ダムの本体工事は、バム鉄道の延伸を待って[[1958年]]から始められた。折しも[[ヨシフ・スターリン|スターリン]]の負の歴史精算が始まった時期であり、[[労働者]]は[[流罪]]処分を受けた[[政治犯]]ではなく、好待遇を条件に一般労働者が集められた。このため、ダムの近辺に存在したブラーツクの集落は、人口増により市に昇格した。
 
1964年に完成したダムは、世界でも屈指の大きさを誇り、膨大な発電量は[[ソビエト連邦]]の経済の基礎を支えた。巨大なダムの写真は、計画経済の優位性を示す[[プロパガンダ]]に使われ、西側にも広く存在を知らしめた。