「呂祖謙」の版間の差分

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'''呂 祖謙'''(りょ そけん、[[1137年]] - [[1181年]])は、[[中国]][[南宋]]時代の[[儒学者]]。[[字]]は伯恭。東萊先生と称される。
 
 
== 略伝 ==
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*当時出版界では『聖宋文海』という誤謬の多い書が出回っており、孝宗が臨安府にこの本の校正・刊行を命じたところ、学士・[[周必大]]はその事業が困難であると説いたが呂祖謙は仕事を完成させ、『皇朝文鑑』の名を賜った。
*[[1178年]]に官著作郎に任命され、国史院編修官を兼ねていたが、その年に54歳で没する。
 
*同時代の[[張ショク|張栻]]・[[朱熹|朱子]]を友とし、東南の三賢と並び称された。博識で文辞が豊かであり、詩書春秋では古義を究め、十七史に通じていた。朱熹と対立する学説を主張する[[陸象山]]とを仲介し、対論させた([[鵝湖の会]])。
 
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*『古文関鍵』(編著)
*『宋文鑑』(編著)
*『[[近思録]]』-[[朱子]]との共で、後世最も読まれた。
 
 
== 参考史料 ==
*『宋史』434
*『宋元学案』42/43