「禎子内親王」の版間の差分

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呆庵入道 (会話 | 投稿記録)
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禎子内親王の誕生は祖父道長と父[[三条天皇]]の間がしっくりいかない最中のことであり、それだけに皇子誕生で関係改善を期していた道長は女御子であったことに不機嫌であった。しかし三条天皇はこの末の皇女に非常に愛情を注ぎ、道長も後にはその外孫にふさわしく遇して、着裳の際には[[おば|伯母]]の[[太皇太后]][[藤原彰子|彰子]]が腰結いの役をつとめている
 
[[治安 (日本)|治安]]3年([[1023年]])上東門院にて[[着裳]]、[[親王位 (位階)|一品]]に叙される。[[万寿]]4年([[1027年]])、[[皇太子|東宮]]敦良親王に入内した。[[叔母]]の東宮妃[[藤原嬉子|嬉子]]の死後、当時他に叔父[[藤原教通|教通]]の娘がいながら、道長の意向で禎子内親王が[[東宮]]へ入内したことからも、道長一族の一人として大切にされていた様子が伺える。
 
長元2年([[1030年]])[[良子内親王]]を、長元5年([[1032年]])[[娟子内親王]]を出産した後、[[長元]]7年([[1034年]])[[後三条天皇|尊仁親王]]を出産した。