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|没地 =
|配偶者 =
|政党 = [[カーボベルデ独立アフリカ党]](PAICV) (PAICV)
|サイン =
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'''ジョゼ・マリア・ペレイラ・ヌヴェス'''({{lang-pt|'''José Maria Pereira Neves'''}}、[[1960年]][[3月28日]] - )は、[[カーボベルデ]]の[[政治家]]。[[2001年]]よりカーボベルデ共和国第4代首相を務める。'''ヌヴェズ'''や'''ネヴェス'''と表記されることもある。
* [[カーボベルデの首相]]
 
==経歴==
カーボベルデ最大の島である[[サンティアゴ島]]の[[サンタ・カタリナ]]出身。カーボベルデで[[初等教育]]・[[中等教育]]を受けた後、[[ブラジル]]の[[サンパウロ]]に留学した。帰国後は政治家を志し、[[1989年]]には当時[[一党制]]支配を行っていた[[カーボベルデ独立アフリカ党]](PAICV) (PAICV) の青年部の指導者となった。ヌヴェスはカーボベルデを一党制国家から民主主義国家へと改革する上で重要な役割を果たした<ref>[http://www.bu.edu/aparc/news/NevesBio.htm NevesBio] ボストン大学、2003年10月9日(英語)。2009年11月10日閲覧。</ref>。
 
==PAICVでの台頭==
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==第4代首相==
[[2001年]][[1月14日]]に国民議会総選挙が行われた。ヌヴェス率いるPAICVはこれで過半数の議席を獲得<ref name="elections in Cape Verde">[http://africanelections.tripod.com/cv.html Elections in Cape Verde] African Elections Database(英語)。2009年11月10閲覧。</ref>。ヌヴェスが第4代首相に任命された(カーボベルデ史上最年少での首相就任<ref>[http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/capeverde/data.html 外務省:カーボヴェルデ共和国] 日本外務省。2009年11月10日閲覧。</ref>)。1ヶ月後に行われた大統領選挙ではピレスが激戦の末に当選を果たし、10年ぶりにPAICVが大統領・行政府を掌握し、与党に返り咲いた。
 
[[2006年]][[1月22日]]の国民議会選挙でもPAICVは過半数の議席を維持<ref name="elections in Cape Verde" />し、ヌヴェスは引き続き首相を務めることになった。[[2008年]][[6月27日]]に内閣改造を行ったが、これはカーボベルデ史上初めて、女性が多数派となった内閣である<ref>[http://www.panapress.com/freenewspor.asp?code=por015329&dte=27/06/2008 "Profunda remodelação governamental em Cabo Verde"] Panapress、[[2008年]][[6月27日]](ポルトガル語)。2009年11月10日閲覧。</ref>。
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ヌヴェスは[[ブラジル]]に留学した経験があり、カーボベルデとブラジルの関係強化に尽力している。[[2005年]][[8月12日]]から4日間、[[サンパウロ]]、[[リオデジャネイロ]]、[[フォルタレザ]]などブラジル各州の州都を歴訪し、[[8月22日]]にはブラジル大統領[[ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァ]]との会談も行っている。
 
ヌヴェスはまた、カーボベルデと[[欧州連合]](EU) (EU) の関係強化にも力を入れており、将来的にはカーボベルデのEU加盟も視野に入れている。一方、[[アフリカ]]諸国に対しては距離を置いており、[[2006年]][[12月]]には、[[奴隷制]]や[[植民地主義]]がアフリカに甚大な影響を与えたことは認めつつも、現代のアフリカで起こっている様々な問題に関しては、アフリカ諸国の指導者たちに根本的な責任があると述べた<ref>[http://www.news24.com/Content/Africa/News/965/0b2e85ac61c1449c9f765b2e1722fa97/22-12-2006-02-42/Africa_stop_blaming_colonialism "Africa 'stop blaming colonialism'"] AFP (News24.com)、[[2006年]][[12月22日]](英語)。2009年11月10日閲覧。</ref>。
 
==参考サイト・注釈==