「番町政策研究所」の版間の差分

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'''番町政策研究所'''(ばんちょうせいさくけんきゅうじょ)は、[[自由民主党の派閥]]。現在の人数は5人(正式には3人)。[[シンクタンク]]ではない。「[[番町]]」を冠するのは事務局が[[紀尾井町]]にあるため。
 
略称は'''番町研'''、通称は'''高村派'''(三木・松村派→三木派→河本派→高村派)。
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[[2006年]]の総裁選では派として[[安倍晋三]]を支持し、圧勝に一役買うことになった。安倍を支持する「再チャレンジ支援議員連盟」会長として中堅・若手議員の取りまとめに奔走した[[山本有二]]が内閣府特命担当相(金融・再チャレンジ担当)として初入閣。さらに翌年の松岡利勝の逝去を受けて、[[赤城徳彦]]が農相として初入閣したが、政治資金に関する疑惑によって[[第21回参議院議員通常選挙]]で自民党が大敗する原因の一つとなってしまったために事実上の更迭という形で辞任した。
 
[[2007年]]8月、[[山東昭子]]が参院副議長に就任し、党籍と派閥を離脱。同8月27日に行われた内閣改造では、派閥会長の高村が[[防衛大臣]]として入閣し、[[大島理森]]が国対委員長として執行部入りした。改造してすぐに安倍政権は総辞職となったが、後継の福田政権において高村が外務大臣へ横滑りとなり、大島は国対委員長を再任となった。続く麻生政権では入閣者は出さなかったが、大島は引き続き国対委員長を努め、この間に自民党国対委員長の通算在任日数記録を更新した。
 
自民党の[[第45回衆議院議員総選挙|総選挙]]大敗・下野を受けて発足した[[谷垣禎一]]総裁体制下で、[[2009年]]9月29日に大島が党幹事長に就任し、派閥を一時的に離脱
 
[[2010年]]1月、[[村上誠一郎]]が事実上離脱。同月、[[山本有二]]が新グループ「[[のぞみ]]」を立ち上げ退会。
 
==現在の構成==
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|-
|[[高村正彦]]
|[[大島理森]]<br>[[森山眞弓]]
|[[臼井日出男]]<br>[[赤城徳彦]]<br>[[山東昭子]](参院)※
|
|[[村上誠一郎]]
|
|}
([[2008年]][[5月]]の派閥役員人事)
 
※山東昭子は参議院副議長に就任したことにより党籍離脱中。
※大島理森は党幹事長に就任したことにより、派閥離脱中。山東昭子は参議院副議長に就任したことにより党籍離脱中。
 
=== 所属衆議院議員 ===
{| class="wikitable"
|-
|width="2533%"|'''[[高村正彦]]'''(10回、[[山口県第1区|山口1区]])
|width="2533%"|[[大島理森]](9回、[[青森県第3区|青森3区]])
|width="2533%"|[[村上誠一郎江渡聡徳]](8(4回、[[愛媛青森県第2区|愛媛青森2区]])
|width="25%"|[[江渡聡徳]](4回、[[青森県第2区|青森2区]])
|}
(計43名)
 
山東昭子大島理森参議院副議党幹事長に就任したことにより党籍、派閥離脱中。
===所属参議院議員===
{| class="wikitable"