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'''山内豊道'''(やまうち とよみち、[[寛政]]7年([[1795年]]) - [[文久]]2年[[8月12日 (旧暦)|8月12日]]([[1862年]][[9月5日]]))は、[[土佐新田藩]]主[[山内豊策]]の三男で、東邸山内家初代。娘に[[山内豊賢]]正室。養子に高知藩主[[山内豊資]]の四男でのちに兄の死により高知藩主となる[[山内豊惇]]と[[山内豊著]]の七男、[[山内容堂]]の弟の[[山内豊誉]]を養子とした
 
[[文政]]8年([[1825年]])藩校[[教授館]](こうじゅかん)総宰となる。[[日根野弘亨]]を学頭とし、学制を改革をした。文久2年に68歳で没す。東邸山内家は、豊惇の子の[[山内豊廉|豊廉]]が継いだ。